政治家
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胡錦濤
1942年12月21日 中華民国(現:中華人民共和国)の上海に生まれ、江蘇省姜堰市にて育つ(祖籍は安徽省績渓)。
1964年4月 中国共産党に入党。
1965年7月 清華大学水利エンジニア学部卒業。水力発電所の技師となる。
1982年9月 中国共産党第12回党大会で中央委員候補に選出される。
1984年11月 中国共産主義青年団中央書記処第一書記に就任。
1985年7月 貴州省党委書記に抜擢される。
1990年10月 チベット自治区党委書記に就任。
1992年10月 第14回党大会で中央政治局常務委員に選出される。
1998年3月 全国人民代表大会で国家副主席に選出される。
2002年11月15日 中国共産党第16期中央委員会第1回全体会議(第16期1中全会)において党総書記に選出される。
2003年3月15日 全国人民代表大会で国家主席に選出される。
2004年9月19日 第16期4中全会で党中央軍事委員会主席に就任。
2005年3月13日 全国人民代表大会で国家中央軍事委員会主席に選出される。
2007年10月22日 第17期1中全会で総書記に再任。
2012年11月15日 第18期1中全会の開会を以て党総書記・中央軍事委員会主席を退任。
2013年3月14日 国家主席・国家中央軍事委員会主席を退任。
経済開発に重視し、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指されました。
胡温体制で中国のGDPは世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で、金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動を断行して、世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことから、リーマンショック後の世界経済を救済したと評されています。
また、胡氏は外交政策として、世界のさまざまな国と関係を強化されました。
政治、経済、国家に多大な貢献をされていらっしゃいます。
813支局に勤められていた時に、建設委員会副主任の張延青氏と親しくなったとのことです。
ある日、張延青氏は胡氏に対して「建設委員会に来て自分の秘書になる気はないか」と打診され、その後胡氏は、張延青氏の委員会主任室専属秘書として働くことになります。
この転勤が、胡氏の人生で最も重要な転換点と見られています。
張延青氏は、胡氏にとっては官途における最初の恩人であり、胡氏は張延青氏に絶えず恩義を感じていらっしゃるとのことです。