美しいロマンと夢 ( 4 ) : 太陽の女人--大愛の為に。第一章 : 運命 (誕生~)

ご報告の自伝として、美しい世界のリーダー様に、MerryWorldのロマンと夢と使命と決心決意を、10章の系列に分けて、丁寧に、そして真摯にご報告いたしたく存じます






目録


はじめに

序詩 : (一) 太陽の女人
序詩 : (二) 美しい人生
序言 : 私のロマン、私の夢、大愛の為に。


幸運の文学少女

第一章 : 運命 (誕生~)
第二章 : 自覚 (10代~)


夢見る東洋の花

第三章 : 覚醒 (20代~)
第四章 : 挑戦 (30代~)


ロマンの太陽の女人

第五章 : 覚悟 (40代~)
第六章 : 美しい"人間革命" (只今~)


美しい世界リーダーへ

第七章 : 世界リーダーの基準
第八章 : 共に、一つの美しい世界――大愛の世界"MerryWorld美麗世界"を!


共に、人生を美寿に(みことに)!

第九章 : 永遠なる情熱の青春劇場!
第九章 : (美しき150歳まで!)
第十章 : 後世代に、美しい人生のモデルを。






幸運の文学少女

第一章 : 運命 (誕生~)



運命、我が現代史一族。

第二次世界大戦の終わりごろの 1940 年代初め、
20 歳の父は、朝鮮半島の最南端 (今の韓国の釜山地域) から大長征を経て、
中国東北の吉林 (北朝鮮との隣近地域) にたどり着きました。

同じく1940 年代初め、
16 歳の母も、実の姉に連れられ朝鮮半島の最南端 (今の韓国の珍島) から、同じく中国東北の吉林にたどり着きました。

そして 1944 年、22 歳の父と 18 歳の母は家族になり、
中国の吉林で我が現代史一族――コリアン系の中国人家族、金氏家門が誕生しました。そして、1949 年の新中国の成立により、正式に中国国籍を取得し中国国民と成りました。

それから父と母は、中国の先進共産党員として、
地方の優秀リーダーとして、一生を、中国の建設と発展の為に捧げました。


ロゴマークの処が、地球上の我がルーツ




私、金紅実の"天時・地利・人和"。


天時 : 世界を驚かせた中国の激動激変の時代

世界を驚かせた仰天の中国文化大革命が勃発した翌年、
1967 年 1 月、年始早々に私は生まれました。
満 9 歳の時の 1976 年に、この閉鎖的で破壊的な激しい革命は幕を閉じましたが、
この、盲目の崇拝と批判闘争が氾濫する"歪んだ文化時代"を傍観したからこそ、
思春期、青春期に迎えられた"百花繚乱の文化時代、開放時代"の大事さと有難さが分かります。この両時代の経験は、後に、私の世界観(人類文化・人類愛の哲学)の形成に、深い影響を与えたに違いありません。
( 1972 年 9 月 29 日、日中国交正常化。当時 5 歳)



地利:"世界一"が、三つ重なった地域

四季鮮明で、自然美しく豊かな故郷――吉林は、
"世界一"が三つ重なった途轍もない地域です。
世界一人口の広大な中国の東北部に所在し、
世界一広い国土の大らかなロシア (当時、ソ連) を東側に、
世界一情熱文化の朝鮮半島を南側に、隣接しています。

常に、"世界一"に慣れている故に
心が大らかに、気持ちが安らかに、楽観的に居られることです。
(欠点は、常に抱負が勝手に途轍もなく大きくなりがち。)


ロゴマークの処が、我が源点。



人和:恵まれた多文化・人文化環境

中国の先進共産党員の両親から、
紅く誠実でありますように!人生、紅く実りが有りますように!
との願いを込められ、‟紅実"と名付けて貰いました。

生まれながら、"金家嘉門を継ぐ娘"として決められ、
(男の兄弟が無い、六人姉妹の末っ子のため)
両親に期待され、家族の愛を一身に集め、
大愛の中で、心豊かに成長しました。

地元でも家庭でも厳格の方で有名な父親も、
末っ子の私には、限りなく慈愛で、限りなく寛容寛大でした。
これが私の"度胆と我がまま"の源点です。

我が家には常に、来客で賑やかでした。
父が長男であるために、家族の大事と節目ごとに親戚が集まり、
又、両親と叔父が地元のリーダーであるために、
平日の夜にも、問題解決の為に家に訪ねて来るお客様が多かったのです。

常用言語は、中国語と朝鮮語がメインですが、
会話には、自然と日本語が大部混ざっていました。
当時の東アジアの情勢により、両親とも日本の教育も受けた故です。
会話内容も、中国の事情だけではなく、
朝鮮半島と日本に関する諸事情の内容が、普通に入っていました。

家の壁には常に、世界地図と四大偉人の肖像画が掛かっていました。
(マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東主席の肖像画)
世界地図は、移民一世である両親にとっては欠かせないものであり、
四大偉人の肖像画は、先進共産党員でリーダーである両親の
志の象徴であったと思います。

家には、とにかく本が多かったのです。
本棚には、マルクス、レーニン、スターリン、毛沢東の選集等の書籍と、
歴史小説、恋愛小説、天文、自然、健康、、、等の本が、
ずらっと並んでありました。

私は、歴史小説と愛情小説が大好きで
放課後には本を読むことが日課でした。
又、夜になると母に歴史小説を読んで上げたり
(水滸伝、三国志演義、、、等)、
隠れて、ドキドキハラハラしながら読んだ愛情小説を
(紅楼夢、青春之歌、簡愛、林海雪園、、、等)、
後に、クラスメイト (女の子) 達を集めて、楽しく語りました。
興味津々に聞いていた幼い友人たちの姿が、
今も、鮮明に目に焼き付いています。

6 歳で小学校に入学した私は、
作文と数学と歌と踊り、其々が大好きでした。
勉強が好きで、成績は常に全学級の 1 位か 2 位でした。
小学校 6 年間、クラス班長か副班長、6 年生の時は全校学生会長 (大隊長) も任されました。

幼少期のもう一つの趣味は、演劇でした。
勝手ながら"御姫様"劇を創り、
クラスメイトの女の子達を集めて、演劇を教えたり、歌を練習したり、
家から姉たちの化粧品と服装を持ち出して、演劇の道具として使用しました
(姉が 5 人もいるために)。
とにかく、一時も何もせずに静かにいた時間が無かったと思います。

唯一苦手だった事は、男の子達と喋る事、遊ぶ事でした。
姉妹しかいない環境で生活成長しお陰で
女の子達とはよく付き合えますが
男の子と接する機会があまり無い家庭環境の故に、
男の子がとても苦手でした。
恥ずかしくて、常に男の子とは距離を持ちました。
(これは、過去も今も、似たようなところがあります。)



幸運の文学少女、中国の大愛に感謝!

私の幼少期を思うと、
本当に、天真爛漫、好奇心旺盛、感性豊で又大胆、
我がままだけど大らかな (周りによく分けてやる) 女の子でした。
とりあえず、明るく積極的で、何でも一直線でした。

家では、家族の愛を一身に集め、
学校では、先生とクラスメイトの愛を受け
社会では、リーダー達に守られ、育てられ、
又、美しい自然と豊かな物質に囲まれ、
心豊かに、伸び伸びと成長しました。
学業も趣味も満喫し、
本当に楽しく幸せな幼少期を過ごしました。

これが、幸運の文学少女の始まりです。
全ての愛と大愛に、心より深く感謝しております。




幸運の文学少女にも、一つの違和感

幸運の文学少女にも、唯一の違和感、
父と母其々に対しての、一つずつの違和感が有りました。
幸せ(幸運)のムードからの一転、少々暗い話に成りますが、
この違和感が、後に、私が歴史を学び、MerryWorldを設立し、
世界リーダー倶楽部を立ち上げ、大愛の世界を訴え続けている、
大事な源点の一つ、運命の一つでありますので、
「第一章、運命」の処で、申し上げなければいけないと思いました。


父の"ミアリ放送"

子供の私にとって我が父は、
怖いものがない世界一偉い幹部でした。
だが、私は度々、父が夜になると布団を被って、
正確に言えばこっそり、ラジオ放送を聞いている事を見ました。
とても優しい朝鮮語の放送で、歌も流れておりました。

何故、隠れて聞くのか??
何を、隠れてまで聞きたいのか??
当時の中国と北朝鮮はとても友好でしたので、
北朝鮮の沢山の文化的なもの、宣伝的なものと色んな物質が、
正々堂々と中国に沢山入って来る時代でしたので。
幼い子供の私にとっては、重い違和感が湧かないはずが無かったのです。

少し成人に成って解ったのですが、
これは、当時の南朝鮮 (当時の韓国の呼び方) が、
世界中の在外同胞に向けて、特に北朝鮮同胞に向けて、
宣伝の為に流した"ミアリ放送"でした。
当時の中国は、社会主義の北朝鮮とは友好的でしたが、
資本主義の韓国とは国交を断絶し、
人的な往来どころか、通信と文化さえも許さなかったのです。

さすがの先進共産党員の父親であっても、
偶には、故郷が恋しくなったり、故郷の事情が知りたくて、
故郷の文化が懐かしくなる事は、当たり前の事で、
人間基本の"人之常情"だったのでしょう。
当時の政府のルール―を違反してまで、故郷の声が聴きたくなる
父のその切ない気持ちを想像すると、
大人に成った今も、やるせない気持ちで一杯です。




母の"アリラン"と涙

特に、私の気持ちを重くしたのは、
父の"ミアリ放送"ではなく、母の"アリラン"歌でした。
(アリランは、韓国の歴史古い伝統民謡の一つ)
当時、母は父と同じく先進共産党員で、
長年、地元の婦人会の会長も歴任するほどの、
優しく、強く、明るい女性でした。

だが、その母が、人が居ない処で、度々、
悲しくアリランを歌いながら、涙を流していました。
とても母思いの幼い私にとっては、
世の全てが暗く成るほど、とても心が重かったのです。
幾ら欲しいものでも、母親の為なら我慢でき、
母親の為なら譲る事が出来る程、母思いの子でしたので、
その辛さは、想像を超えました。
幼い私にとって、母のアリランは、
正に、痛哭のアリラン、恐怖のアリランでした。
(大人の今は、大好きな人間愛の歌ですが。)

何故泣くの??
何故"アリラン"を歌いながら泣くの??
幸運の文学少女である私にとっての、唯一の不幸な事でした。

これも少し大人に成って解ったのですが、
悲しくも、心痛くも、母には、
肉親 (母側の全ての家族と親せき) と生き別れて、
会うことも連絡する事も出来ない、便りすら知ることができない
心痛い現実が有ったのです。

韓国南端の島――珍島から、実の姉に付いて中国に来た母は、
1945 年の終戦の時に、姉の家族は韓国に戻りましたが、
母は父と結婚した故に、付いて帰れなくなり、
中国に一人ぼっちに成ってしまったのです。
それなのに、朝鮮戦争 (1950 年 6 月 25日~ 1953 年 7 月 27 日) の勃発により、
南北が分断され、永遠に帰れない故郷に成ってしまったのです。
正に、遠い親戚一人いない中国大地で、一人ぼっちに成ってしまったのです。



国境は、何の為に、誰の為に、存在するんだろう???

国境は、何のために、誰の為に、存在するんだろう???
何故、我が家には自慢の"中国の朝鮮戦争英雄が二人"もいるのに
(私の二人の叔父:父の実の弟と、父の実の妹の夫。中国の抗米援朝軍として参戦)、
かえって我が母は、戦争によって泣かなければいけないんだろう???

もっと皮肉な事は、25 歳の時に初韓国訪問の時に、
韓国の珍島に、我が家の"もう一人の朝鮮戦争の英雄"がいるという事実です。
母の実の弟は、朝鮮戦争英雄で、韓国政府の"有功者"でした。

("我が家の皮肉な三人の戦争英雄"に関しましては、
 「第三章、覚醒、20代~」にてご覧ください。)




次回は、「太陽の女人――大愛の為に。幸運の文学少女 第二章 : 自覚 (10代~)」を、
お楽しみください。
  • 社長のツィッター
  • 美麗世界宣言-世界リーダー交流イベント
  • 世界リーダー倶楽部
  • 東京・青春劇場
  • PDFファイルダウンロード
ページのトップへ戻る